現場行く回数が変わりました。
少し推しの話...というよりは私の応援スタンスの話でしょうか。
ざっくり言うと、推しにハマって徐々に通う回数が増えて、特に去年と一昨年はたくさん通ってましたが今年はビミョ〜って感じの話です。
オチもなにもないですよ。
キャスト目当てで作品を見に行くことは多々ありますが、手紙をたくさん書くほどになったのは推しだけです。
そもそも手紙自体書いたことがなかった。アンケートぐらいはあるけど。
推しのことは作品を通して知って、半年としばらくしたぐらいの舞台からなんか急に「手紙書きたい!」って思って書き出した。縁あって名前を意識する前の舞台とかも見ていたのは運が良かったな。
書き出してから、次の作品がもうとっても見応えのある作品だったのもあり、手紙を書く気持ちが湧いてとまらなかった。
それからは割と見てすぐに書いていた。帰りに下書き、帰宅して清書、翌日劇場へ。
手紙のルールは特に決めていない。レターセットも作品の雰囲気に合わせたり、たまたま気に入って買ったものとか、まちまち。よくあるレターセットだと便箋に対して封筒が余ることがときどきある、くらいの文量で書いていた。全通やリーチの公演のときなんかは文字通り毎日。
最近、推しの舞台がなんだかつまらなくなった。相変わらず演技は見てて楽しいけど、作品自体に思い入れが沸かなくなってきた。筆がのりにくい。
たぶん好みじゃないんだろうな。ので、入る回数がガクッと減った。
遡って、思えば去年の秋ぐらいから、なにか推しに対して勝手が違うなと思い始めていたかもしれない。
メディアの露出が増えて、インタビューや雑誌記事、イベントなどで本人の言葉を読んだり聞いたりするうちに、なにか釈然としないところがときどき見えるようになった。
たぶん、私が見たいのと推しが出したいのとでズレがあるんだろうなと思う。
まぁそりゃ違う人間だから当たり前だ。話題になることで見えてきたのかもしれない。
そんな気持ちでいたからだろうか、なんだか最近干されている気がしたのだ。
あくまで干した干されただのは私の物差しだけれど、やっぱりなんか変わったなぁというのをここしばらくで感じた。たぶん。
今までだったら、っていう期待みたいなものが外れることが増えた気がする、が正しいかな。
もうこの時点でだいぶめんどくさい思考回路ですね。笑
私が推しへの興味を喪いつつあるのか。
たまたまつまらない作品に出演しているのか。
実生活の忙しさで私の心に余裕がなかったからなのか。
回数は入れないならいらないってことかな。
新規さんおもてなしで私はいつもいたからそのうちでいいやって思ったのかな。
相手が生身の人間で、感情があって、というだけで、めっちゃめんどくさい。
相手がこう思っているかもしれないと思い込むことがめっちゃしんどい。
こっちは手紙で一方的に伝え続けるしかできない。いわゆる私信だレスだファンサだというのも一通り噛み締めてきたけれど、夢だったのかなと思うことがある。夢じゃないけど。
相手が普通の人間だったら「ねぇちょっと、」と直接話して、嘘でも答えがもらえるのにね!若手俳優だもんね〜凸る根性は私にはありません。いろいろめんどくさいもん。
難しい。
ピーク時のように手紙を書くほどの高揚感を感じられなくなって、降りるときがきたのかな。とか思ったりして。
でも次の先行が出てどこ申し込もうかって友人と相談したりは自然にしていたんで、案外まだまだ元気はあるような?
とりあえずはまだまだ板の上で顔を見ていたいし、今後の作品が面白い舞台になればいいなと思います。
先述したピーク時というのも、自分の好きな役での出演だったから一瞬でも見逃したら一生悔いが残るってぐらいの気合いで臨んだものだった。なのでそもそもそこまで全通おたくになれない気質なのかもしれない。
今までのモチベのピークと好きな役のピークがうまくあっていたのは大変幸福なことだったと思います。
とはいえそれ以外の舞台でもそこそこ通ってたのの原動力はなんだったんだろうと...お話が好きな作品だったからかな...それともやはり対応に沸いてたからかな。
そういうのまとめて今まできてたのかな。
バランスが崩れかかっているけどどこから崩れてきたのかがわからないからモチベの立て直し方がイマイチ掴めません。立て直さなくてもイイやって思うし。最近。
あとさすがに去年は全然貯金できなかった。これもちょっと厳しいと感じ始めている。
そうは言っても、好きな演出家さんや脚本家さんの作品に出ることがあったらまた全通考えるかも知れないな。
そんなぐだぐだな話を聞いてくれて、めんどくさい私に、「応援スタンスは変化していい」「推しと解釈違いして『絶対殺す期』あるけど時間ぐらいでしか治らない」って、言ってくれた推し活動先輩の友人たちに深く感謝している。
あとまったく若手俳優おたくじゃない友達とかも、いろいろ聞いてくれて、冷静に「頭おかしい」「正気じゃない」って切り込んでくれるから好き。ひとりの人間に対する入れ込み方がヤバい。笑
舞台に行く以外でやりたいことも増えてきたし。
仕事もなんだかワンランク上の業務になっていきそうだし。
婚活も始めるし。
趣味には「観劇」と書けば良いでしょうか。たぶん四季とか帝劇とか思われそう。実際は年間100公演ごえの2.5次元メインでそのうち70公演前後が推しがらみとかのヤバい物件です。言いづらい。
やっぱりずっと同じ調子でいるのは難しいですね。
いま通ってる人たちは頑張ってね。
もしスタンスが変わったときに自分で自分を苦しめない程度にね。
私はちょっと苦しみました。笑
TEAM Live HYOTEI
チムライ氷帝東京公演お疲れ様でした!
ミュージカルテニスの王子様 3rdシーズンより新たな試みの舞台として盛り上がっていますTEAM Live 通称チムライ。
ひとつの学校だけを取り上げておおよそ1時間、楽曲ライブとトーク(後述します)で盛り上がるライブです。
8代目青学、不動峰、山吹、ルドルフはアイアシアターにて、今回の氷帝は規模を広げてTDCでの開催となりました。
とても楽しいです。
青学ライブから東京公演は7割ぐらい参戦してる。
細かいレポは「チムライ 学校名」で検索すればたくさん出て来るのでそちらにお任せします。お見送りもあるよ。
構成が探り探りだったのが、氷帝でいったんカタチが出来上がったのかなと思います。
楽曲ライブとトークですが、8代目青学、不動峰、とんで氷帝は1時間ずっと一貫してキャラクターとしてライブ&トークを行いました。
対してルドルフ、山吹では前半キャスト(キャラメイクも当然なし)トーク、後半キャラクターライブという形でした。着替えタイムということで前後半のあいだには公演の編集映像が流れました。どちらかというと2ndのころのTSCPP(公演振り返りトークイベ)に近かった。
私は前者のキャラに徹してのライブの方が好きです。
テニミュに出ている間しか(よっぽどのことがない限り)キャラクターの格好をしてキャラクターとして生きることはできないんです。
少しでもそれを長く見ていたい。いろんな原作舞台やミュージカルを見ていますが、テニプリ自体への好きのベクトルが突出しているのもあるかな、「キャラクターの依代」としてキャストさんを見ているので...。
ああもう本当にルドルフ、山吹が悔やまれる。ルドルフなんかミッション系の学校だから教会なり講堂なりでお茶会とか謎行事できそうだし山吹だって準優勝で大会進出なんだから祝う会とかで良いのに...しかもハンパな円盤化しやがって!
アンケート書いたから氷帝でまたキャラクターライブに戻ってくれたのかなと思って歯ぎしりしながら自分をなだめています。本当に氷帝ライブ楽しかったんだ。次六角(もしかしたら青学が先か?)以降もキャラクターライブでお願いします。
...オープニングムービーは赤澤吉朗にエスコートされたかった。※赤澤吉朗の『吉』は土に口
1日引きこもってドキサバやりたい。
千秋楽が千秋楽じゃなくなる日。
ポジティブな話ならツイッタでわーわー楽しめばいいので結果やはりこちらではぶすくれたことしか書けない気がする。
刀ミュ中国公演おめでとうございます。
いつから決まるんですかねこういうのって。
前(新撰組)もあったから今回もあると予期して置けとか?そんなん知るか。予期してたわ。それでああやっぱりかハイハイって感じだわ。
広く海外公演やって活躍の場が増えるのはいいことだし、チケットを取る機会が均等に(むしろせっかくだから現地優先で)行われたりそういうのは全然いいんですけど。
海外公演に行く気がないのにグズグズ言うのもなんですが、やっぱり後出しは死んでくれって常々思います。
公演情報的な後出しで印象に残ってるのは、地方と凱旋の間に海外公演が挟まってチーム100回公演記念が海外にずれ込むということがあったり。国内100回記念という形でもともとのお祝いは行われましたが。
出演に関してだと一般発売前日に追加キャスティングとか。
過去に関わりあったところでゲストに呼ばれるとかならまだわかるし先手は打てるけど。
話が逸れそうだ千秋楽に戻そう。
「千秋楽だから」なんていうのをあまり演者側で意識して欲しくない(毎日が誰かの千秋楽って気持ちでずっといてほしい)のですが、観る側からしたら「千秋楽」なんですよ。矛盾しまくってるけどそれが心というものだ笑
日本語が変で申し訳ないです。感じてくれ。
それがずれるのはなぁ。なんかなぁ。
追加公演決定で平日の昼が増えたり初日が前倒しになったり千秋楽が千秋楽じゃなくなったりなんかもうほんと「急遽です!!」ってのならなぁ。まだマシかなって思うけど。
公演劇場なんか一年〜半年単位で予約とって使うもんだと思うのに海外公演が結構近づいてから出されるのはあーあって感じがする。
私はイベンターでも舞台製作会社でもなんでもないただの人だから憶測でしかないのだけど。
ま、要するに節目を海外に横取りされたーって愚痴です。
以上、千秋楽が千秋楽じゃなくなってちょっと気落ちしているいちおたくでした。
怪我なく終わってくれ。
ミュージカル刀剣乱舞 三百年の子守唄と解釈違いをぶつけた
この記事はミュージカル刀剣乱舞 三百年の子守唄のネタバレを前提としています。
ご了承ください。
また、基本的にはシナリオが好きじゃないなという気持ちで書いていますので、disダメな方は読まないでください。お互いのために。
演技やシーンを切り取れば好きなんだけど全体見てるとうーん????ってなってばっかりなので少し書き留めたいと思い、筆をとりました。
衝動で書いているので畏まって批評とかでは全然ございません。便所の落書きです。
書いてる本人がややこしくなるので、本記事では「阿津賀志山異聞の石切丸」を「異聞丸」、「三百年の子守唄の石切丸」を「子守丸」と分けます。
そんなに意味があるほど多用はしないと思う。
原作ゲーム自体は公開一週間後ぐらい?小狐丸実装ぐらいからまったりプレイしつつ、課金はからっきし&鍛刀運が底辺なので期間限定の刀ほとんどいない田舎本丸です。
公演は三条は多め、新選組は少し行きました。海外とかは行ってない。
端的に言うと、めちゃくちゃ解釈違いを感じた。というのが大きいです。
そもそも公式サイドの作品である以上、想像と食い違ったならそれは私自身の方に問題があるんだろうなとは思いますが。
刀剣乱舞の特色として、「よそはよそうちはうち」という「とある本丸」という壁があります。
なのでもちろん、ミュ本丸の石切丸と当本丸の石切丸は別刀だと認識して飲み込むべきなんでしょう。
まーーーーーでもやっぱりなんか子守丸全然スッキリしないんですよ!!!
作中で心の成長を描いてるのかなとは思うのですがなんか気持ち悪い。
観客からしたら2時間ちょいの舞台中で数十年の時間が流れるのを見せているから感じるのか?
丸根砦から十年ぐらいずっと大倶利伽羅に弟子入り土下座してたんですかね吾兵
子守丸が戦の中で苦しむのはわかる。治してあげたいもんね。うん。
大倶利伽羅に食ってかかるところ。なんで抜刀する?石切丸ってそんな拳で語らうようなキャラだったっけ??急な暴れ方についていけない。
「そんな軽い刀じゃry」っていうけど大倶利伽羅は守る難しさをよーく知ってるキャラだと思うんですが。
身内にして失った時の哀しみがあるから馴れ合わない、自分の力量を見て赤子とにっかりを先に逃せばと判断をする、冷静で不器用なところが魅力かなと個人的には思います。
後の墓参りのくだり、また刀を抜いて(なんでまたそう拳でなんとかする?)斬り合うところとセリフを対にしているようですが、「重くなったね」ってお前の刀が軽くなったんちゃうんかーーーーーーい!!!???って思います。それまでのシーンで自身の力信じきれなくなってますからね子守丸。
なんか「力があれば」っていうのも、石切丸ぽくないなと感じています。
歌に乗せてるってことはとても伝えたい見せたいシーンなんでしょうけど。
クライマックス。信康の自刃のシーン。
斬れんのかーーーーーーーい!!!!?????
やっぱりかとは思ったけど子守丸やっぱり踏ん切りつかない!!!
逆に言えば今まで見てて斬れなさそうって思った通りだったのはまさしくキャラクターの解釈がそこは当たったってことなのか…?
検非違使の最期(と思われる)シーン。
ジャンプの最終回かよ。
いやそこで全照してぶっちぎるぐらいならライブ無くしてもうちょっとクライマックス丁寧にやってくれ。
なにか意図があるのかな。
もしかして全員折れたのかな?
とまぁいろいろ思うところをぽつぽつ書きました。
まとめると子守丸めちゃくちゃ情緒不安定だなーって思います。思春期か。
心の成長=思春期ならあってるのかもしれないけど、とにかく石切丸がしんどすぎてそんな姿見たくない...と公演見るたび落ち込んでいる次第です。
役者さんの演技は良いんです。好きだ。演技でシーンが立ってるからこそ、キャラクターに共感を覚え、自分の心と納得いかないというすれ違いが起きているのかなとか。
阿津賀志山から引き続きの石切丸ですが、なんだかこの子守丸が異聞丸のその後だとは思えないんです。
三百年の子守唄が時間軸として阿津賀志山異聞の前か後かってどこかで明言されてましたでしょうか?あれば教えてください。
異聞丸は加州と心について話していましたが、子守丸として今回のいざこざがあった上でだったらなんとなくなるほどと思うんです。
逆に阿津賀志山であんだけ言っといて今回のその態度だったらお前なに様...?ってちょっと思います。
どうなんだろう。
にっかり青江がとてもうまい具合の距離感で子守丸始め他の刀剣男子を見守り支えてくれているようで本当に素敵だと思います。
冒頭でも触れましたが、「とある本丸」という仕組みは諸刃の剣だなって思いました。
あと、ゲーム中での情報量が立ち絵とセリフといくつかの回想で、それを元手に刀の由来だの歴史だので自分の本丸を育ててきたので、いざ何かのストーリーが形作られると違和感を感じてしまうんだろうな…
原作のままの2.5作品、原作の番外編的につくられる2.5作品、よりもさらに、原作はあるけどどこかオリジナル作品に近い、不思議な次元にあるように思います。
まぁでも私末満さんのステシナリオはめちゃくちゃ好きなんで結局脚本家さんとの相性が今回はダメだったってことですね!!!!!!
おしまい。
孤島の鬼 -咲きにほふ花は炎のやうに-
初日観劇してきました。
ツイッターで書くとネタバレになるかなとか文字数が少ないかもと思いブログにしました。
たぶんそんなたいした文字数ではないけど。
せっかくだからこれを期にいろいろ書いてみたい。
前作(2015)を観に行ってとても好きな作品だったので、再び公演があると知ってとても嬉しかったです。
演者さんはもちろん演出家さんもかわり、作品全体の雰囲気もガラリと変わったように思います。
以下、ネタバレ前提で舞台内容やセットなどに触れつつ感想です。
前作と比べると私の好みとしては総合的に前作が好きかもって感じなのですが、変化した表現でここが好き!ってところをいくつか述べます。
印象なのですが前作がにおわせって感じで今作はわりと直喩な感じがでした。
ライトの使い方が前作の好きだったなと思います。
序盤のシーン、学生の諸戸と箕浦の出会いと最初の決別のところ。
机の上に足を乗せて、前かがみに体を伸ばして箕浦に語りかける諸戸が、すごく懇願という感じで好き。演者さんの青さもあって、箕浦を求めることへの羞恥があったと思います。
初代さんとの恋のシーン。
とてもはつらつとした笑顔と、ちょろちょろ動き回る感じが、ああ浮かれてるって伝わってきてニコニコ見てました。
初代さんの喋り方が硬質な感じで、おやと思ったのですが、ほとんど身じろがずに、自身にとっては辛いことを述べているのでそういう表現かなって思ったり。声が鈴のようでとても心地よいです。
友のツボ入りシーン。
生身を使ってツボの出入り、そしてみしみしと響く音がとても不気味さや得体の知れなさが劇場いっぱいに広がって、ぞくぞくします。
手記のシーン。前作では徐々に明るくなったところから吉ちゃんが見えてその姿は、という感じだったのですが、今回は別々に現れた二人に徐々にからみつく感じになっていました。
初めて原作の小説を読んだ時、最初は秀ちゃんと吉ちゃんの姿は文章に隠されてて途中で気づくという感じだったのですが、ちょうどその感覚を舞台で見たって思いました。
諸戸屋敷の救出劇。
秀ちゃんしか見えない!が全力でもうほんっっと辛い。好き。
諸戸さんとすれ違うライティングが心を抉ります。
洞窟の蛇。
恐る恐る逃げている箕浦を捕まえるところ、田中さんの腕がながいのもあるのかな、からみつく蛇感が強かったです。前作が獣なら今作は爬虫類です。
諸戸のその後を知って。
諸戸がゆっくり手を伸ばすから、掴んだらどうしよう...って思いながら見ておりましたが、そこに過去の箕浦がするりとかんできて、あの洞窟がやっぱりターニングポイントだったんだなと、辛く悲しい気持ちでいっぱいになりました。
叫ばない。叫ばないけど、客席に向かってその苦痛とも迷いともいえる苦しい顔を見せてくる佐藤さんの顔はとても美しかったです。
若い演者さんはやっぱりまだちょっと物足りないところもありましたが、どんどん空気感を背負ってブラッシュアップしていかれたらいいなって思います。
前作の鯨井さんが好きすぎた。
また見に行ったり思い出したりしたら書きます!
@kotounooni2015
赤坂RED THEATER
2017/2/3〜2/12