24時間戦えません

たぶん、舞台の感想

ミュージカル刀剣乱舞 三百年の子守唄と解釈違いをぶつけた

この記事はミュージカル刀剣乱舞 三百年の子守唄のネタバレを前提としています。
ご了承ください。

また、基本的にはシナリオが好きじゃないなという気持ちで書いていますので、disダメな方は読まないでください。お互いのために。

 

演技やシーンを切り取れば好きなんだけど全体見てるとうーん????ってなってばっかりなので少し書き留めたいと思い、筆をとりました。

衝動で書いているので畏まって批評とかでは全然ございません。便所の落書きです。

 

書いてる本人がややこしくなるので、本記事では「阿津賀志山異聞の石切丸」を「異聞丸」、「三百年の子守唄の石切丸」を「子守丸」と分けます。

そんなに意味があるほど多用はしないと思う。

 

原作ゲーム自体は公開一週間後ぐらい?小狐丸実装ぐらいからまったりプレイしつつ、課金はからっきし&鍛刀運が底辺なので期間限定の刀ほとんどいない田舎本丸です。

公演は三条は多め、新選組は少し行きました。海外とかは行ってない。

 

端的に言うと、めちゃくちゃ解釈違いを感じた。というのが大きいです。

そもそも公式サイドの作品である以上、想像と食い違ったならそれは私自身の方に問題があるんだろうなとは思いますが。
刀剣乱舞の特色として、「よそはよそうちはうち」という「とある本丸」という壁があります。
なのでもちろん、ミュ本丸の石切丸と当本丸の石切丸は別刀だと認識して飲み込むべきなんでしょう。

 

まーーーーーでもやっぱりなんか子守丸全然スッキリしないんですよ!!!

 

作中で心の成長を描いてるのかなとは思うのですがなんか気持ち悪い。
観客からしたら2時間ちょいの舞台中で数十年の時間が流れるのを見せているから感じるのか?
丸根砦から十年ぐらいずっと大倶利伽羅に弟子入り土下座してたんですかね吾兵

 

子守丸が戦の中で苦しむのはわかる。治してあげたいもんね。うん。
倶利伽羅に食ってかかるところ。なんで抜刀する?石切丸ってそんな拳で語らうようなキャラだったっけ??急な暴れ方についていけない。
「そんな軽い刀じゃry」っていうけど大倶利伽羅は守る難しさをよーく知ってるキャラだと思うんですが。
身内にして失った時の哀しみがあるから馴れ合わない、自分の力量を見て赤子とにっかりを先に逃せばと判断をする、冷静で不器用なところが魅力かなと個人的には思います。

後の墓参りのくだり、また刀を抜いて(なんでまたそう拳でなんとかする?)斬り合うところとセリフを対にしているようですが、「重くなったね」ってお前の刀が軽くなったんちゃうんかーーーーーーい!!!???って思います。それまでのシーンで自身の力信じきれなくなってますからね子守丸。

なんか「力があれば」っていうのも、石切丸ぽくないなと感じています。
歌に乗せてるってことはとても伝えたい見せたいシーンなんでしょうけど。

 

クライマックス。信康の自刃のシーン。

斬れんのかーーーーーーーい!!!!?????

やっぱりかとは思ったけど子守丸やっぱり踏ん切りつかない!!!

逆に言えば今まで見てて斬れなさそうって思った通りだったのはまさしくキャラクターの解釈がそこは当たったってことなのか…?

 

検非違使の最期(と思われる)シーン。

ジャンプの最終回かよ。

いやそこで全照してぶっちぎるぐらいならライブ無くしてもうちょっとクライマックス丁寧にやってくれ。
なにか意図があるのかな。
もしかして全員折れたのかな?

 

とまぁいろいろ思うところをぽつぽつ書きました。
まとめると子守丸めちゃくちゃ情緒不安定だなーって思います。思春期か。

心の成長=思春期ならあってるのかもしれないけど、とにかく石切丸がしんどすぎてそんな姿見たくない...と公演見るたび落ち込んでいる次第です。

役者さんの演技は良いんです。好きだ。演技でシーンが立ってるからこそ、キャラクターに共感を覚え、自分の心と納得いかないというすれ違いが起きているのかなとか。

 

阿津賀志山から引き続きの石切丸ですが、なんだかこの子守丸が異聞丸のその後だとは思えないんです。

三百年の子守唄が時間軸として阿津賀志山異聞の前か後かってどこかで明言されてましたでしょうか?あれば教えてください。

異聞丸は加州と心について話していましたが、子守丸として今回のいざこざがあった上でだったらなんとなくなるほどと思うんです。
逆に阿津賀志山であんだけ言っといて今回のその態度だったらお前なに様...?ってちょっと思います。
どうなんだろう。

 

にっかり青江がとてもうまい具合の距離感で子守丸始め他の刀剣男子を見守り支えてくれているようで本当に素敵だと思います。

 

冒頭でも触れましたが、「とある本丸」という仕組みは諸刃の剣だなって思いました。

あと、ゲーム中での情報量が立ち絵とセリフといくつかの回想で、それを元手に刀の由来だの歴史だので自分の本丸を育ててきたので、いざ何かのストーリーが形作られると違和感を感じてしまうんだろうな…

原作のままの2.5作品、原作の番外編的につくられる2.5作品、よりもさらに、原作はあるけどどこかオリジナル作品に近い、不思議な次元にあるように思います。

 

まぁでも私末満さんのステシナリオはめちゃくちゃ好きなんで結局脚本家さんとの相性が今回はダメだったってことですね!!!!!!

 

おしまい。

孤島の鬼 -咲きにほふ花は炎のやうに-

初日観劇してきました。

ツイッターで書くとネタバレになるかなとか文字数が少ないかもと思いブログにしました。

たぶんそんなたいした文字数ではないけど。

せっかくだからこれを期にいろいろ書いてみたい。

 

前作(2015)を観に行ってとても好きな作品だったので、再び公演があると知ってとても嬉しかったです。

演者さんはもちろん演出家さんもかわり、作品全体の雰囲気もガラリと変わったように思います。

以下、ネタバレ前提で舞台内容やセットなどに触れつつ感想です。

 

前作と比べると私の好みとしては総合的に前作が好きかもって感じなのですが、変化した表現でここが好き!ってところをいくつか述べます。

印象なのですが前作がにおわせって感じで今作はわりと直喩な感じがでした。

ライトの使い方が前作の好きだったなと思います。

 

序盤のシーン、学生の諸戸と箕浦の出会いと最初の決別のところ。

机の上に足を乗せて、前かがみに体を伸ばして箕浦に語りかける諸戸が、すごく懇願という感じで好き。演者さんの青さもあって、箕浦を求めることへの羞恥があったと思います。

 

初代さんとの恋のシーン。

とてもはつらつとした笑顔と、ちょろちょろ動き回る感じが、ああ浮かれてるって伝わってきてニコニコ見てました。

初代さんの喋り方が硬質な感じで、おやと思ったのですが、ほとんど身じろがずに、自身にとっては辛いことを述べているのでそういう表現かなって思ったり。声が鈴のようでとても心地よいです。

 

友のツボ入りシーン。

生身を使ってツボの出入り、そしてみしみしと響く音がとても不気味さや得体の知れなさが劇場いっぱいに広がって、ぞくぞくします。

 

手記のシーン。前作では徐々に明るくなったところから吉ちゃんが見えてその姿は、という感じだったのですが、今回は別々に現れた二人に徐々にからみつく感じになっていました。

初めて原作の小説を読んだ時、最初は秀ちゃんと吉ちゃんの姿は文章に隠されてて途中で気づくという感じだったのですが、ちょうどその感覚を舞台で見たって思いました。

 

諸戸屋敷の救出劇。

秀ちゃんしか見えない!が全力でもうほんっっと辛い。好き。

諸戸さんとすれ違うライティングが心を抉ります。

 

洞窟の蛇。

恐る恐る逃げている箕浦を捕まえるところ、田中さんの腕がながいのもあるのかな、からみつく蛇感が強かったです。前作が獣なら今作は爬虫類です。

 

諸戸のその後を知って。

諸戸がゆっくり手を伸ばすから、掴んだらどうしよう...って思いながら見ておりましたが、そこに過去の箕浦がするりとかんできて、あの洞窟がやっぱりターニングポイントだったんだなと、辛く悲しい気持ちでいっぱいになりました。

叫ばない。叫ばないけど、客席に向かってその苦痛とも迷いともいえる苦しい顔を見せてくる佐藤さんの顔はとても美しかったです。

 

 

若い演者さんはやっぱりまだちょっと物足りないところもありましたが、どんどん空気感を背負ってブラッシュアップしていかれたらいいなって思います。

 

前作の鯨井さんが好きすぎた。

また見に行ったり思い出したりしたら書きます!

 

‪@kotounooni2015 ‬

赤坂RED THEATER

2017/2/3〜2/12